動物の自殺について

 自殺するのは人間だけで動物は自殺しない、動物は死を知らない、というのが通俗人間論にあるわけだが、これは本当だろうか。

 自殺の手段として頻度の高いものが、首吊りや飛び降りなのだが、頚動脈の圧迫や頚椎の損傷、全身打撲のショックが心停止に至るという知識をもっているのは、これはたぶん人間だけだろう。

 動物についても虐待してみなければわからないと思うのだが、やはり動物愛護の観点からみて実験は難しいだろう。畑正憲の本で、母親に虐待された子猿を憐れんだ畑が子猿を薬殺するエピソードを読んだことがある。

 早川紀代秀川村邦光・著『私にとってオウムとは何だったのか』を読んでいるのだが、これは素晴らしい本だ。あまりオウム本を渉猟する趣味はないのだが、そういう自分なのにもかかわらず、つい、まずこれを読め!という気になる。『黄泉の犬』もすばらしいが、あれはあれで一面的である。

 魂という考え方を導入したとたんに、死は急速に恐怖の対象から外れてしまう。教祖への帰依によって、魂という考え方が強化されてしまう。どうやらオウムの暴走は、最初の死亡事故(事故のようである)を世間から隠蔽しようとしたところからはじまったらしい。以降の殺人(早川は「慈悲殺人」と呼んでいる)は、どうも、麻原のなかに「一人殺すのも二人殺すのも一緒だ」という考え方がひそんでいたことの証明だったのではないかと思うのだ。

 死を知らないのは、動物ばかりではなく人間もまたそうなのではないか。なにも奇矯なことを言っているつもりはなく、孔子が怪力乱心を語らないとした理由がたしかそういうものではなかっただろうか。