『八日目の蝉』

 老けメイクをした永作博美と、その「娘」の井上真央が楽しげに談笑しながら道を歩いていると、突然刑事たちが彼らを取り囲み、永作を逮捕して、刑事たちは井上に驚愕の事実を伝える。井上は永作の娘ではなかったのだ……。

 ……こういう話を予告編から想像し、また期待もして観にいったのだが、ぜんぜん違った。幼児の「娘」と永作の「母」の逃避行は、数年で終了し、永作は逮捕され、「娘」は本当の家族のもとで成長する。成長した「娘」が、かつての「母」のように愛人の子を孕み、そしてかつての「母」とは違ってその子を産む決断をするまでのドラマと、過去の「母」との逃避行のドラマとが交互に描かれる。

 幼い頃の私は、こういう女が、なぜ関係をおおっぴらにできない男と関係を結び、妊娠までしてしまうのか不思議で仕方なかったのだが、さすがにこの年齢になってしまうと、こういう女の心模様は、なんとなく理解できるようになってしまうのである。だから現在編は、意外さを得られないという意味で、あんまり面白くなかった。小池栄子の演技がうっとおしくて(役柄を適切に表現していたのかもしれないが)、それが嫌だったということもある。

 過去編も、カルト集団の教祖役である余貴美子が、なんとなく松本人志に似ているのが面白かったくらいで、あとは永作の堅実な演技がよかったということくらいしか記憶に残らない。

 とはいえ、そんなに悪い映画とも思えない。現在編を削って、永作メインの2時間作品にしてくれたら、もっと好きになれたかもしれないと思うのだが。本作の上映時間は約二時間半である。

 あまり関心がわかないでいた井上真央は、あの険のあるというか、向こう気の強そうな顔によく合った役柄で、これはもうけ役だったのではなかろうか。