混ぜて食べればいいのではないか

 よくわからないなりに原発の話を続けるが、要するに私などは、自動車のエンジンを想像しながらものを言っているわけである。

 外気の出入りがない室内に、自動車を乗り入れて、エンジンを空ぶかししたら「環境」に悪いことくらい、誰にでも分かるだろう。練炭自殺がはやるまえは、自動車の室内に排気ガスを引き込んでいた。

 原発が安全であることの根拠は、核燃料を封じ込めているペレットや被覆管の外に、放射性物質が出ないように設計されていることにかかっていたはずである。

 先に(?)建屋が吹き飛んだという表象は、正直いって、あっけにとられた。原子炉全体が吹き飛んだのだと思っても(勘違いしても、とは、もはやいうべきではないらしい)、仕方がない。

 要するに、核燃料は核爆発しないとしても、格納容器や圧力容器、被覆管は、核反応が発電レベルを越えるくらいに活発になったら、破損するということなのだろうか。

 素人考えでいわせてもらえば、燃料の最大「燃焼」エネルギーが発生しても破損しない容器をはじめから製造しておいてくれないか、と思うのだが…。

 武田教授の疑問も、ここにかかっているのではないかと思うのだ。メルトダウンしても破損しない容器で原子炉ができていれば、放水などせず、そのまま核反応をさせ切ってしまえばよかったのだ。

 さて、実は私はそれほど原発反対派というわけではなくて、正直に言うと、こんな天変地異でも起らないかぎりは日本で原発事故など起らないのだなあと思ってしまった口である。こう思った人は、じつはそれほど少なくはないと思うのだが、どうだろう。柏崎刈羽地震がきっかけだった。もちろんウィキペディアには、そのほかの悲惨な原子力事故について書いてある(配管が破断して5人が蒸し殺されたとか)から、犠牲者たちはかわいそうだなと思う。

 私が興味あるのは、原子力発電の恩恵などよりも、この半世紀にわたる日本の原子力行政とその実態についてなのである。こちらの方を、いろいろ明らかにしてくれないかと思うのだ。純粋に、読み物として興味深いだろうと思うのだ。五次、六次、七次の下請けを許すなんて、明らかに不健全だろうと思うのだが、監督官庁はなにをやっていたのだろうか。

 放射能で汚染された食物についても、たとえばそれが海産物だとしたら、魚肉などは、汚染されていないよその魚肉と、危険でない放射線量まで低下するまでまぜあわせてカマボコにでもしてくれたら、すくなくとも私はそれを消費する意識はあるのである。不経済を厭う心は、放射能を忌避しつつも保持していかなくてはいけないと思うのである。

 また、武田教授は、いわき市福島市の住民に避難を呼びかけることはしていないが、私などは、無責任に聞こえるかもしれないが、かれら住民たちは自分の土地から避難してしまえばいいと思うのである。日本政府は実験というか、ケーススタディとして、大規模な人員を避難させる実地訓練をこの機会にやっておけばいいと思うのだ。