映像を表現ではないとみなす場合

養老孟司の『形を読む』を読み直していたら、「人間は、アウトプット、つまり情報の送り出しに関して、ほぼ完全に骨格筋に頼っている。これは、注目すべき貧弱さである」という表現に出会って、私は刺激をうけた。


映画は骨格筋の作用ではないという点をもって、映画は表現ではないのだと考えると面白いと、私は思ったのである。


そもそも表現ではないところの映画を、しかしより表現として感じるために、私たちは、骨格筋の典型的な作用である「演劇」の助けを借りなければならないのではないか、と。


演劇の助けがなくても、映画は作れないことはないのだ。風景を写すだけの映画でも、映画は映画だ。花鳥風月の美しさをもって、鑑賞者の情緒を刺激するもよし、名所古刹の映像を流して鑑賞者の教養を刺激するのも、ありなわけだ。