タイプ分けが躓きのもと?

抑え込むタイプというのも、私は日本人だからそのニュアンスがよくわかってしまうけれど、要するに諍いが表面化することを厭うて安易に忍従してしまう臆病さを、口当たり良く言い換えたにすぎないので、私はそういう表現は好きではない。


私は『小三治』という映画を見た事があるけれど、客よりも頭がよさそうに見えるかどうかはさておき、抑え込むというよりは、騒々しいのが嫌いなのだろうという気はする。


そんなによく聞いたわけではないが、どちらかというと志ん朝のほうが「抑え込」んでいるように見える。


それにしても談志といい小三治といい志ん朝といい、この昭和10年代前半生まれの面々は、高度成長期に放送によって若くしてスターになったという共通点があって、談志などとくにその体験に振り回されていたように見える。戦後昭和のテレビと寄席の関係というのは、昭和の末年に物心ついた身としては、およそ想像がつかないものである。