『それから』(森田芳光)

洋画の『卒業』を連想した。保護されているということは、反面、幽閉されているということでもある。臆病で卑怯で、かつ知恵のまわるところがある主人公は、自分があたえられた状況を、さも自分が望み仕組んだ結果であるかのように自己欺瞞していて、その嘘が、自我を苛むわけだ。


分からず屋のようだった友人(小林薫)が、じつはとても感受性が豊かなまっとうな男だったことが、後半になってやっと観客にわかるようになっている。これはうまい(脚本は筒井ともみ)。


自我というものは「選択するもの」であって、実は一般に誤解されているような「成長するもの」ではない。選択しなければ、世間は「あの人はああいう人」という了解を、ことさらに改めたりはしない。自我(自己の本分)の選択に関しての小さなエピソードが、物語の周辺に配置される。イッセー尾形が小説家をやめて堅気に転じたいと悩む挿話などは、これである。


美保純が、無気力なキャラクターを演じているのがちょっと珍しくて面白い。


松田優作は、このキャラクターを演じるには体格が良すぎるのだが、すこし太ることで精悍さを抑えている。この人がこれからもう5年と生きることはなかったのだなと思うと呆然とする。


森田芳光は、子供であるということにこだわりすぎてしまった人なんだろうな、ということを思う。だからその作品が、いつもどこか告発の響きが聞こえてくるようなものになってしまったのだと思う。人は、それぞれ違っているものだということを、表面的にはともかく、心の底では納得しない人だったのだろうと思う。