震災記

sheepsong55さんが震災の日のことを回想していて、それにつられて自分もあの頃のことを思い出した。

震災の数ヶ月まえに、仕事場が渋谷に引っ越してきて、やっと周囲の雰囲気に

慣れてきたころだった。建物が出来て数年の免震設計で、揺れの最中もあまり怖くなかったことを

今でも覚えている。余震がひどくて、その日の予定をキャンセルすることに決めたのは、3時半くらい

だったろうか。仕事場はネット環境は完備されていたけれど、テレビやラジオの用意は全然していなくて、まだ当時は地上波がアナログだったから

同軸ケーブルとプレート型のアンテナを、倉庫から出してきて、もっぱらビデオ用となっていたテレビに接続

したものだった。いまでも東日本大震災で思い出すのは、ブラウン管に映る受信状態の悪いニュースの映像である。

sheepsong55さんはラジコを事務所の仲間に教えたそうだけれど、私がラジコの存在を教わったのは、もしかしたらこの日

だったかもしれない。この記憶には自信がない。3時半から日没までの2時間ほどなにをしていたか、あまり思い出せない。
一度表通りにでて(文化村通り)空に暗雲が急速にたれこめてきたのは覚えている。

自分の携帯電話でワンセグが見られるのに、それを見た印象があまりなく、もっぱらネットで九段会館のことを気にしていた
ような気がする。夜は仕事場が帰宅難民の受け入れを決めたのでその雑用をこなしていて、これは当時のブログに

書いている。地震そのものをあまり怖いと感じず、帰宅難民の行軍の憂き目にも会わず、畏怖すべきすべてのことはモニタの
向こうがわで展開されていた災害だった。