過労自殺
飲料メーカーの運転手に就職して、激務に疲れて自殺してしまった人の記事を読んだ。
鬱病のときにそういう情報を頭に入れるべきではないのに、うっかりしていた。
自殺した人は、不定期雇用の時期があって、この就職で生活を立て直したいという希望と
この仕事を腰掛けにして、コンピューター関係の業界に転職したいという展望との葛藤に
悩まされていたらしい。早い時間に退勤して勉強を進めようとしていたのに、そのあてが外れて
さらに激務に押しつぶされてしまったらしい。
いつも思うのは養老孟司の話で、解剖学教室に配属された助手などが仕事に不満げな様子だと
養老は彼に諭したのだそうだ。まずは自分に与えられた仕事を好きになることだと。
自分の仕事を不本意なものだと思い続けるのは、ちょうど鬱病の気分と近い。
自分の仕事を嫌いでいることは、自分を嫌いでいることまで、あと一歩の所にある。
映画の『モテキ』にあったシーン。逆境にめげそうになった主人公がオフィスの裏で一人
音楽に逃避する。このシーンを見た当時は、ささいな逃避行動を大袈裟に観客に
訴える主人公の過剰な自己愛に辟易する思いだったが、しかし、今日のような
悲惨なニュースを聞いてしまうと、あのシーンに対する印象が変わってしまう。
また別の映画のことを思いもする。園子温監督の『恋の罪』である。複雑な事情の果てに
破綻した生活を抜け出せなくなった女が、「言葉なんて覚えるじゃなかった!」と
叫ぶのである。いまの私は、彼女の言う「言葉」は「夢」に置き換えられるような気が
している。夢は生活を送る際に人に張りをもたらしもするが、桎梏となって人を引きずりまわしもする。