自殺についての少数意見

ふと思い出した。むかし草野仁がワイドショーの司会をしていたことがあって、どんな行きがかりでそうなったのか、いまの私は忘れてしまっているが、スタジオの面々が自殺について考える流れとなって、人間生きてりゃつらくて自殺したくなるときがあるという意味のことを草野が言って、コメンテーターがそれに同意する、という一幕を見たことがあった。


そのとき、私は、自分にそんな感情の持ち合わせが欠片もないことに気がついて、ブラウン管のむこうの草野にたいして申し訳ないような気持ちになったのを、かすかに覚えている。


私は自殺したいと思ったことが一瞬もないのである。そういえば、大怪我の経験はあるけれども、大病の経験がない、というのは大きいかもしれない。自殺したいと思ったこともないし、嫌な人間を殺したいと思ったこともない。嫌な人間は、自分と無関係に、勝手に頓死してくれないかな、とはよく思うのだが。


桶川ストーカー殺人事件という嫌な事件があったが、主犯格の男は、他人に被害者を殺させておいて、自分は入水自殺かなにかで死んでいる。私などは、もちろん被害者がかわいそうだというのが一番先に来るが、それにしても、犯人はまったく無駄な死を死んだなあとしか思わない。このへんの感覚も、もしかしたら世間一般の平均的感覚とは違うかもしれないので、おいそれとは口に出せないところである(書いちゃったが)。