小説『桐島、部活やめるってよ』

 映画版『桐島、部活やめるってよ』は、そつのない洗練された映画で、大いに楽しんだのだが、あまりにも映画としてまとまりが良すぎたので、原作の小説がどうなっているのかに興味をもって、さっそく文庫版を買って読んだら、


 非常に驚いたのである。最近のエンタメ小説の状況には疎いのだが、みんなこんなにレベルが高いのだろうか?


 情報化や産業化が高度に発達した現代日本の高校生たちが、周囲の産業や文化とたわむれながら、どのようにして自己を日々保持していくのかを、真摯に、しかしおしつけがましくなく描いているのである。小説が、地方の、高校生が親しむ映画文化状況について、かなりリアルに書き込んでしまったせいで、そのまま映画にするには障りがあるために、映画化に際して無難でアンリアルな方向に相当な変更を加えたという事実が興味深い。時代は本当に変化しているのだなと思う。


 私が高校生だったのは、時に西暦1992年の4月から、1995年の3月までの間だったから、まあ、隔世の感に囚われたというしかない。


 人は言葉を交わす相手を選ぶ、という、よく考えたら、いや、よく考えなくても、残酷な、そして宿命ともいえる営為について、作家が関心を途切れさせない姿勢にも好感を持つ。文庫版のおまけらしい「東原かすみ〜14歳」の章に特に心を動かされた。