2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「資本主義」は相対概念

デジタル技術が発達すると、たとえば映画が資本主義の産物だったことが疑われるようになってきた。あるいはテレビ時代からも疑われていただろう。「製作委員会方式」とは、要するに「資本を蓄積しないよ」ということなのだ。実際蓄積されてない。映画と資本…

「乗用車」は後発概念

馬車の進化版としての高級品、スピード競走用の機械、荷物運搬用車輛、それらの用途が先にあった。乗用車、自家用車という概念がそうとうに新しい。現代日本人は列車が「クルマ」であるという印象が薄いのではないか。しかしあれもクルマである。「クルマ」…

生まれる前のことについていろんな信念をもっているのはべつにいい

天地創造を信じているのが国民の半分以上いたってべつに(どうでも)いいなあ。ほんとうにどうでもいいことですよドーキンスさん。おれは信じているどころか実際に見た!ってやつがいたら、もっと面白い。三島由紀夫は産湯の水面のきらめきを眩しいと思った…

つくられたものは、だめなのか?

なぜ皇統が途絶えなかったのか。小谷野さんの回答は「偶然」だけれども、わたしはちょっとちがう。天皇という価値に代わる存在をつくることを、日本人が怠けたか忌んだかしたからだとおもうのだ。日本の人は神輿を担ぐのが大好きで、祭り上げられることを恐…

オリジネイターへの「つっこみ」としての日本の工業製品

こう考えると戦後の日本の歴史はけっこう陰湿なものだった気がしてくる。西洋への無言の返答を日本は世界に送り続けていた…。あてつけは怨みの対象たる西洋の人には通じていなかったのだ。

日本人は守ることと使うことが大好きで、

作ることや自分の心を考えることを極度にいやがる。

英単語の「ッ」

http://twitter.com/tonton1965/status/8723888592 アクセント(強勢)の所在を示しているのでは。撥音表記だとしたら、じゃあ子音tを重ねてるbetterはなぜベッターではないのかと答えうる。しかし「ベッター」と表記されたことも過去にはありそうだ。現代日…

音と文字

発話場面では、文字を介したやりとりはなくて、数の概念と発音しかないわけで、その場面を切りとって「数字は表音文字になる」って、そりゃ詭弁だわ。文字がなく、概念のみあるところで、数字が表音文字として機能してますって、自分で書いてておかしいこと…

『おとうと』

この映画をみながら数年前に死んだ父のことを思い出していた。「知識よりも知恵が大事だ」といいながら知恵のない人生を送った人だった。二十代の頃はそういう父をとがめる気持ちがあったのだが、いまはもうそんなことはない。人は死ぬ時に死ぬものだとぼん…

日本人は無意識ではなく意識をこそ発見しなければならない

ここらへんは西洋人と逆転しているのだ。本音と建前や嘘も方便の国では、かえって建前とは方便とは実際にはなんなのだろうという内省こそが必要なのだ。「本音と建前」という表現があるせいで、建前についての意味を社会が共有した気になっている。口にでき…

論理のモメント

かつて養老孟司が西洋人は言語を意識だと思っている(日本人は違う)という話をどこかでしていたけれど、いいかえれば欲望込みの自分(自我とは呼ばないでおこう)が社会に組み込まれてしまっているのが日本人なのだ。だから逆境にあうと「なんでわかってく…

『天皇制批判の常識』

瑕疵を発見。『クイーン』は2006年本国公開。日本公開は翌年。最後の最後に「もはや、黙って見守るしかないであろう」(198ページ)とあって拍子抜けしてしまった。皇室や、天皇制論議が、である。それならまったく付け加えることはありません。なぜ天皇制が…

自然と尊厳

たとえば、この大島のポートレートをみて言葉を失うのは「自然」で、でも作品はすばらしかったじゃないかと訴えるのは「尊厳」である。『おとうと』の鉄郎はそれとしらずに(つまり自然に)愛人の尊厳をふみにじったことを口走り、姉の吟子から頬を張られる…

じゅうばこのすみ

中学・高校に激しく学力の乏しい教師がたくさんいる ここは「激しく」よりも「著しく」のほうが、頭がよくみえる。「激しく乏しい」と並べてみればおかしいことがわかる。

デジタル時代の衝撃

デジタル時代を迎えて、ヒトの知的活動がさらにそしてむやみに多産になった。デジタル化以前には、活字と印刷と頒布という技術を、人海戦術をもって運用していた。しかし、植字工や運転手だっていいたいことはあるだろう。デジタル時代になってついにそうい…

あやしいものを見に行き、そしておまえはあやしいものから見返されろ

ヌード写真の所持を合法にするとか非合法にするとかはわりあいどうでもいい議論だ。この議論からは、コピーを所持することで個人の福祉が増進されるという前提がまったく疑われていない。うぶな話で恐縮だがついさきごろはじめてストリップを見たのである。…

『分解された男』

殺人の本質は古今不変なり。いづれの時代におきても、社会対殺人者の闘争にして、被害者の首がその賞なり。(沼沢洽治訳) へえ、こういうことをちゃんと書いてあるんだね、と思った。傷害致死と殺人はどう違うのか。思想のあるなしか。意識と言語について。…

西洋人と日本人のそれぞれの弱点

西洋人は心理実在主義で、日本人は身分実在主義なのではなかろうかと思うのだ。心と身分、どちらも、もちろん実在はしない。しかし、実在しているということにしておかなければ落ち着かないのだ、きっと。エゴってドコにあるの? ってなもんである。

言語が本質的にかかえる多幸感

言語は人が言語に知悉し馴染めば馴染むほどに人に喜びを与えてしまう。これこそが言語の素晴らしさとして語られる特徴だが、つまりは経済原則にすぎない。多数の外国語を習得することは脳に多大な負担をもたらす。いちど調べてみたいなと思うのは、マルチリ…

アラビア数字

日本語でだって「きゅうじゅういちひくななじゅうよんは?」といきなり聞かれたら戸惑う(やまとことばの計算はもっと難しかったろう)。小学生の段階から徹底的にアラビア数字と日本語との対応を訓練しているから「日本人は計算に強い」のだ。「九十一ひく…

なんだかへんだなあ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000034-jij-int どの程度の大きさの「押しボタン」か知らないけれど、「さりげなく先にボタンを押す人」と「相手の手の動きに反応してボタンを押す人」の対決にしなければ意味ないんじゃないの? 普通に考えた…

「魂」

その人の経験、感情、信条の集合体。他人がその情報をロードして表示するにはあまりに時間がかかる。

脳は媒体ではない

眼球は細胞でできた機械であって、モノである。視覚もまたビデオと同等の映像にすぎない。不思議なことに人間の視覚以外の人工的な視覚はつねに媒体を必要としている。鑑賞者が媒体を抱え込んでいて再現できないのが視覚の特徴だ。現実は、一般的に思われて…

それはイメージではない

だから私は『ゴールデンスランバー』のあたまのほうで吉岡秀隆演じる森田が「イメージだよ。イメージ!」と堺雅人演じる青柳にまくしたてるのに不満だった。それは違うよ、それは言語だよ、と。

言語は文字にすら勝利する

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100201/1264982855 「漢字は表意文字」というのを、私もたしかに馬鹿の一つ覚えで疑ったことはなかった。そうだよ、広東語と北京語、そしてそれ以外の民族諸語があるばかりだもんな。漢字は音符として使われていたという…

カエルから花火へ

一晩寝たらやっとわかった。『ゴールデンスランバー』は、ポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』の巧妙なアダプテーションなんだ。伊東四朗や柄本明など巧みなシニア陣は、演技うまいけど話が煩瑣になるからいらないなあとか思っていたがとんでも…

『ゴールデンスランバー』(ネタばれあり)

主人公の友人である吉岡秀隆が殺されたのだから、敵側の香川照之も当然殺されるだろうとワクワクしながら待っていたら、香川は地元警察の本部長である竜雷太に軽く凄まれるだけで終わってしまった(かわりにだんまり役の永島敏行が吹っ飛ばされる)。拍子抜…

『アイ・アム I am.』(ネタばれあり)

キネコだったからフィルム化を経ていないビデオ版(2008年製作だそうだからHDにはなっているだろう)のほうが画像はたぶんきれいなのだろう。型通りの話の流れ、自己発見しアイデンティティを獲得する介護ロボットに観客が涙するための映画なのだが、いろい…

小谷野さんのイラストはそんなに下手だとは思わないけど…

長くて太い線で輪郭をふちどらずに、あたりをとるときの細かいタッチのままで完成としているのが、絵のことをよく分かっていない人には「下手」に見えるんじゃないでしょうか。けちをつけるやつはならおまえがそっせんしてはんをしめせよ、と。

低学歴の周辺

よくある初歩的なかんちがいに、「言葉は現実である」「活字は現実である」という信憑がある。言葉は言葉でしかなく、大学へ通って他人とさんざんにコミュケーションを交わして饒舌をみにつけながら孤独を知る作業が人には必要なのだが、人はえてして孤独を…