女性の自立

紀子の食卓」の導入は、吹石一恵演じる紀子の自立話で、親の影響と格闘して家出に至るまでの過程がよく描けている。その後に紀子はカルト組織に洗脳されていくのが痛ましいのだが、視点人物が交代することで紀子は後景に退いてしまう。映画の最後に自立=家出するのは紀子の妹のほうで、だからタイトルと齟齬をきたすようで調子が狂うのだが、紀子は紀子で最後に意味深な一言をのこす。ようするに、この映画においては紀子が自立に失敗し、次回の妹による挑戦に期待をかけるということなのだろうか? 実際の家族のやりとりと、カルト組織による家族ごっこの様子とを、並列的に示すようなクールな演出なので、「女の自立」みたいなある意味ロマンティックなテーマを鼻で笑うような園かもしれない。

園の映画は、「夢の中へ」や「奇妙なサーカス」がそうだったが、迷宮感覚を偏愛する作家であって、この作品もすくなからず迷宮感覚に彩られた箇所がある。「奇妙なサーカス」など閉じ切っていて、あまり楽しくなかったのだが、紀子ら姉妹も園迷宮に取り込まれてしまったのなら悲しい話だ。

しかし「紀子の食卓」に爽快感が乏しい理由が、たんに男である園に女性の自立が想像できないからだ、とすれば、これは話が明快になる。たとえば、この映画に出てくる「みかんちゃん」の内面など想像がつかない。だから園も描いていない。「自立」という男の世界に片足をつっこんだ紀子の視点からしか「みかんちゃん」は描けない。これは女性監督のさらなる創作を待つしかないことなのかもしれない。

(2009年追記。あきらかに小谷野さんの評論のパクリである。恥ずかしい。これは戒めとして残しておく)