あまりに日本人的

シュピーゲルとの対話も大きい, 2006/8/9
By クライストの悲劇 - レビューをすべて見る

個人的にはハイデガーの後期の思索は「存在と時間」とはまた少し違った魅力をもち、その呪縛にとらわれた時も少なからずあった。またハイデガーの技術に対する考え方はあまりにベタなのであるが、それでも常に立ち戻らなければいけない何かを語っている気がして、時々振り返るように読む。そんな気持ちでこの書物を手に取ったのであるが、巻末に加えられているシュピーゲルとの対話に出会い、思わずそれから読み進めてしまった。シュピーゲルとの対話とは、死期直前のハイデガーナチスの関与についてどのように考えるかを質問したもので、ハイデガー本人はそれが生前に公開されることを拒んだ。ハイデガーの言葉の中の言い逃れや無反省があまりにも生々しく記録され、常に泰然としていたハイデガーのイメージは崩れ去った。その後、本編を読むもいろいろな言葉が何故かしらじらしく響く。背景をもって斜めから読むのは邪道かもしれないが、しかし理由はどうであれ、ナチスの問題に何も語らず、一方で「本源」とか「最も根底」とかそういった言葉を臆面もなく語る無頓着さが、どうしても見過ごせなかった。思想とは何か、考えるべきこととは何か、ハイデガーの姿をみて、改めてそんなことを考えさせられた。 http://www.amazon.co.jp/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC/dp/4582760708/ref=pd_bbs_sr_2?ie=UTF8&s=books&qid=1211559678&sr=8-2

別にこのレビュワーを批難したいわけではないが、ハイデガーナチスへの関与について無反省という言葉を発するときに、自分が戦後の日本人であることをレビュワーは忘れ「すぎて」いる。キリスト教徒にとって神の降臨が歴史的事実であるように、戦後日本人にとってナチスの悪は前もって与えられた歴史的事実なのである。ここで読者は私がナチスの悪を虚構だと主張しようとしていると誤解してはならない。自分がものを考え感じるときに、どのような事々が事実として前提されるかを振り返らなければならない。それがないのは、あまりに「日本人的」すぎるのである。