笑っていることを表象したい

私が高校生のころ、すでにばか笑いが、窘めの対象だったもんなぁ…。「いくら漫画が可笑しくったって、教室でそんなに笑わないの」って同級生から注意されたんだぜ(こういうことを話すときには口調も橋本治じみる…)。これが1992年のことだったかなあ…。

なんでだろ? とか思ってたけど、のちに『唯脳論』を読んで、だいたいわかったのである。あ、世の中が、管理されてってるってことなのね、と。

で、連想が飛ぶんだけど、炎上ブログの挑発文体ってのは、ありゃ、感情を表象したいということなのか。そういう面もあるのかもしれないね。

私は、ファストフード店で他人の会話に聞き耳を立てるほうだけれど、たしかにある程度以上の収入がありそうな人たちは、感情のリミッターをこえない程度に適度に興奮を抑制して(しかし冷たい印象をあたえないようにも注意して)会話しているのがよくわかる。

収入低そうなのは平気で馬鹿笑いしてる。