日本人は猟奇的?

ほんとにそうかどうかは知らないが、この猟奇的ということは、つまり他人の目を気にしている、ということなんじゃないかと思うのだ。

阿部定は通説のような猟奇犯ではないと主張する『JOHNEN 定の愛』を見た私は、とくにそう思うのだ。

猟奇というのは、考えてみれば不思議なものだ。本人としては別に奇妙なことをしていないのだが、と、「本人」に主張されてしまうと、世間は困ってしまうのだ。たとえば、アルミン・マイヴェスの事件なんか、「被害者」の合意を取り付けて殺してるんだからな…。私としては絶句するしかない(それにしてはいろいろ書いてるが)。

ある人の必然性は、必ず時間を含むから、他人には容易に了解しがたい場合が多々あるのである。それをごく簡単にいえば「蓼食う虫も好き好き」ということになるだろうか。