文学青年、政治青年、ブランド青年…。

なんでマンガが怖いのかだんだんわかってきた。自分で読まなくちゃいけないからだ。

アニメは他人が声優として、声を出してくれるから、他人事として安心して接していられるが、マンガは自分で(心の中で)声を出していかないといけないから、きっとそれが怖かったんだな(自分のことなのに妙に他人事のようにふりかえる私である)。

評論がさくさく読めて、小説が苦手というのも、これは前者の文章が論理であって、声ではないからか。だから非論理的な日本の評論は、私は苦手なのである。いっそ江藤淳のように自分語りをしてくれたほうが、なんぼかましである。

主観と客観の区別については、日本人は絶望的だから…。民族の特性なのか…。

あっ、タイトルと文章が繋がらずに終わってしまった。まあ、青年というのは、他人の声をもとめるものだよね、ということである。私はあんまりそういうほうじゃない、というお話。