『天安門、恋人たち』

つまらんなあ...。

だいたい主人公の女は、なにを勉強しに大学へ行ったんだ?

たとえばさ、あの当時の中国の大学にだって、かくれてこそこそYMOを聞いたり、松田聖子のグラビアを収集したりするオタクはいたと思うのだ。もしいなかったら、私はそんな中国の画一性を軽蔑するね。そういうやつらこそ、映画の主役にしろよ、と思うのである。そういうやつらこそが、自由化を叫ぶ権利があるというのに。

とりあえず前半だけ見たんだけど、主人公の欲望を描いているようで、その欲望がへんに規制されている。肉欲を寂しさにすりかえている。ほんとうに寂しさを紛らわしたいのなら、人はセックスに走るよりも、当時だったら、文通マニアや、ミニコミオタクになってしまうだろう(ああ、1980年代の宮台真司の伝記映画とか、だれか作らないかな? ホイチョイの人とか)。他人の目を気にしている。そういう点が、なんとも「中国映画」だなあ。