唐沢俊一問題に寄せる

論理的思考があやしいひとが、あやしいながらも、それでも理屈を繰っているときの、発言者の心理を考えよ。ということである。

もちろん唐沢本人の問題として考えることは退屈なので、私は思考の対象を日本人に拡大するのだ。

感覚と論理と心情を、おおくの日本人は弁別できない。これが結論。知情意とは、もしかしたら中国語から来てるのかな。