資本主義とプライド

ジェームズ・ボンド公式DVDコレクション」の「ロシアより愛をこめて」を読んでいたら、ショーン・コネリーが「ボンドを演じることは資産だ」と発言していて、この本の文章は全体的にこなれた日本語ではないから、ここの部分も直訳なのだろうが、かえって西洋人が「資産」というものに寄せるニュアンスがわかる。

アメリカ人たちがあんなに共産主義を毛嫌いしていた理由が、日本人にはよくわからないわけだ。日本の、戦中の総動員体勢は、ナチスの国家「社会主義」に影響されていたし、戦後は赤狩りまでは共産党が躍進したわけだし、心情左翼なんて今にいたるまで綿々と存在し続けているわけだし。

西洋人にとってはプライドの根拠を資産が裏書きしている。昨日見た『フロスト×ニクソン』でも、フロストがニクソンに前払いするギャラが、彼の自腹かどうかをニクソンが腹心のブレナンといっしょに「値踏み」するシーンがあって、西洋人ってこうなんだ、と思った。値踏みしたら気の毒という価値観は日本人のものでしかないわけで、値踏みしないことの方が、西洋人にとってはオネスティを欠いた短見だくらいに思っているだろう。

私のなかにはプライド(高慢に変化するリスクをふくむ自負心)などなくて、情報だけがあって、それを社会の要求と適宜かけ合わせることで、報酬を産出し、食料その他に交換して生存しているわけだが、資本主義者というのは、もっと抽象的なんだ。資産というのは、情報よりももっと抽象的なんだろう。