プロと都会

プロというと、苦節をかさねて一芸にひいでるといった雰囲気があるが、ごく簡単にいってしまえば、それを他人がしてないことをする人という意味でもある。

じつは本当にひいでているか、詳細な実験をへているわけではないから、わからないのである。だから「市場主義」なのである。売れるとおもって売ってみたらやっぱり売れた、よかった。それだけ。

本当に音楽がすきなら楽器を手に取ればいいし、絵が好きなら絵筆を取ればいい。それをしないでいろいろいうから「郊外の子」なのである。住宅地の家庭向けに「ソフト」が作成されて、各家庭でそのプログラムが「試行」された。1970年代から1980年代の日本の郊外においていっせいに発生したのは、そういうたぐいの「運動」だった。

都会にいて音楽が好きなら聞きにくればいいのである。自分は舞台ではなく客席にいて、しかも金も払っているのだから「勘違いのしようがない」だろう。

都会というのは、案外「勘違いのしようがない」場所なのである。