センシュアル・マン

スピリチュアル・マンの反対というわけですね。「俗人」というのも、あんまり訳し得ていない気がするが…。「あさはかな人」というのが好きだが、これは訳し過ぎか。

追記。世俗革命がすすんでいるから「精神的な人」にたいするニュアンスが、透谷の時代とはどうしても違ってしまうということを思ったわけで…。俗人というと、2009年の私はどうしてもオーディナリー・マン(パーソン)を連想するけれど、エマーソンや透谷は、ちがうニュアンスで「俗人」と使ったのだろうし。

さらに追記。透谷も「肉情」という文字に「センシュアル」というカナを振っている(『<男の恋>の文学史』129ページ)。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090513

http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/46581_29499.html