性的半幻論 その六

表現ではない人(身体)を、あえて表現であると錯覚することで性幻想は成り立ったというのが、いまの私の考えである。

本能が壊れて、模造品の「本能」を構築するさいに登場したのが幻想であるというのが岸田説だが、本能が壊れたから代理をたてるなどという「本能的」な判断をどうしてヒトができたのか、やはり疑問にのこる。

都市と農村を明確に区別したあたりから、性幻想は独立して発達しだしたのではないかと私は思うのである。狩猟採集社会のグループには、それほど確固とした性幻想など必要なかったのではないか。

都市と農村が分離しだして、なぜこの食料を作り続けなければならないのか(農村)、あるいは、この見知らぬ食料はどこからやってくるのか(都市)、これらの疑問にこたえるために物語や身分制が発生したのではないか。

狩猟採集社会にも言語やシンボルはあったろうけれども、文字はそれほど発達しなかったのではないだろうか。物語としての口承文芸はあったろうけれども(それこそ伝説だ)、ゴシップなどは、グループの成員はつねにグループの全体をみわたせたので、発達のしようがなかっただろう。ゴシップには、ヒトとヒトとの距離が必要なのである。それでも、狩りに出る男と子育てする女と、日中のいどころは違ったわけだから、男と女のゴシップというのは狩猟採集時代にも存在しただろう。別の男が好きな女に振られそうになった男が、女が惚れた男が狩りで使えない男であると、その女にばらしてしまう(あるいは女は現場を見ているわけではないから、思い切ってウソをつく)とか。