ジョーカーと「父殺し」

ティム・バートン版『バットマン』でジャック・ニコルソン演じるジョーカーは、ギャングのボスの策略で命を狙われた結果、顔に障碍をおわされ、その復讐としてボスを殺害し、組織を乗っ取る。ボスの手下であった男は、明瞭に「父殺し」の手続きをふんで、ジョーカーとなる。

クリストファー・ノーラン版のジョーカーは、ヒース・レジャーが演じるのだが、こちらのジョーカーは、彼がジョーカーとなった理由が一切他人に明示されない。そしてこちらのジョーカーがやっていることは、挑発、ただひたすら社会を挑発することにつきている。ギャングたちをも挑発するのだ。この男は、個人にたいして個人として接することが不可能な精神病者として設定されている。こちらのジョーカーは父でもなければ、子にもなれないのだ。情報の波のなかから発生した生命体…。

ニコルソンのジョーカーが働く悪事は、ようするに過去の自分がこうむった屈辱をそそぐか、他人にもおなじ目にあわせようという原理の発露で、他人(観客)にも理解できるものになっている。

ダークナイト』は、脚本の構成上、ジョーカーが出現し、社会を挑発することで、エリート検事が「殺人鬼」に変貌し、公権力からうとまれながらも独自の地位をあたえられていた(出動を要請されていた)自警ヒーローもまた変貌することが眼目になっていたのだが、レジャーの熱演によって映画そのものの完成度が吹き飛んでしまった。