公開処刑と戦争

『民主主義とは何なのか』を読んでいて思ったのは、明治政府は江戸時代の反動からか公開処刑をしなくなったのだった、ということ。

フランス革命といえば、ギロチンだ。斬った首を観衆にむけてほこらかに掲げたらしい。死刑というのは公のこととして行うわけだから、秘密死刑というのはありえない。それは私刑になってしまう。それが行われたことを国民の誰もが知りうる状態になっていなければいけない。非公開の死刑が人道的で、公開処刑が野蛮かつ非人道的というのはナンセンスなのだ。

おたがいに殺しあう姿が見える状態の戦争というのも、日本は久しく経験していない。日本の最後の戦争は、だから沖縄戦ということになるのだろうか。空襲は一方的にやられるものだから。戦後民主主義がああであったのも、故なきことではないと思うのだ。

戦国時代の徹底的否定が徳川幕府で、徳川幕府の徹底的否定が明治政府で、明治政府のあいまいな否定が現代日本というところだろうか。猟奇趣味というのは、じつは意外と現代的な感覚なのかもしれない。戦国時代には、人の死体なんて見放題だったろうし。

『首斬り朝』の「斬の四十七 生死顔頭」という話に感銘を受けたので紹介。古本で読んだので↑の版の何巻に収められているかはわからない。