想像力の末路

さようなら、私の本よ!の文庫版の著者コメントを立ち読みしたのだが、あいかわらず区切りをつけたい心理を大江はのぞかせていて、やりたい仕事をやれずに死んだ人に申し訳ないからと断筆を撤回したはずなのにどうしたことかと思う。

大江健三郎の創作活動は、想像力になにかを付加していくプロセスだったのだと思うのである。子供、歴史、そして読書体験。付加するアイテムが複雑多岐にわたり、その組み合わせの妙によって「私」を多彩に表現した。社長島耕作ならぬ文学者大江健三郎。メキシコアメリカドイツスエーデンエトセトラ世界をまたにかけるジェームズ・ボンドではなく大江健三郎。この「私」は、想像力に似て非なるものだ。

要するにもっともらしさのことである。それは、そうだ。著者が存在するのはあたりまえのことなのだから。そして読者は大江の実像など知りもしないのだから、大江と称する著者の話を聞くしかない。大江は大江自身が思っているほどには戦後文学には似ていなくて、どちらかといえば村上龍村上春樹に近いのだ。

黒沢明が映画のもっともらしさと必死に格闘していた期間は意外に短くて、七人の侍から赤ひげまでの十年ちょっとにすぎない。娯楽作品をもっともらしくなく作ろう。それこそ真に迫るのだ。醜聞あたりまでは黒沢は理想に燃えていたし、どですかでん以降は心のすみに失意をかかえてファンタジーとたわむれるしかなかった。