『日露戦争物語』

法と行為のあいだに解釈がある。江川達也は解釈のことをしばしば妄想として切り捨ててしまう。馬鹿な人にたいして、法と行為がどう関係するのかをあいまいにすることを、江川はまたマインドコントロールと呼ぶわけだ。

絵が雑になるのも最後の二巻ぐらいで、あとはまあパンパンにも意味がある。戦場は、外燃機関が唸る音と発砲音、ラッパ、掛け声に満ちていた。パンパンが描きたかったのかと揶揄する人がいるが、それもひとつあるのに決まっているのだ。

揶揄する人が作画がダメという言い回しを使うが、江川達也はデッサン力があるからタッチが雑になっても、うまいなあと思う。終幕の破綻はゴールデンボーイの再来で、こういう、やりたいことはもっといっぱいあったんだぜと言わんばかりの、嫌みな終わらせ方が好きなんだなあ、と。