評論とコピペと商業

創作家というのがもともと現実から題材を得ている。悪く言えば現実にたかっているわけだ。評論家は他人の創作を簡略に紹介するか、一般人がなしえないほど深く読み込むかしていただかなくては困る。

一九八〇年代からの特徴として、カタログ文化というか、紹介することに妙にあつい視線が注がれることがあるようだ。その萌芽は六〇年代からあって、小林信彦などそうだろう。興味ないのでよく知らないけど平凡パンチとか。

カタログ文化とコピペと唐沢俊一の世代との関係というのは、調べてみたら面白いんじゃないか(要するに私はやらないよということ)。創作することの凋落と、あれこれ語ることの隆盛とはほぼ同時に起っているのではないか。伊丹十三だって、この流れでみると面白い。文化のカタログ作家としての大江健三郎とか。