何を知っているというのだ 言葉を知っているのか 事実を知っているのか 人を知っているというのか

何を知っていれば天皇を知っていることになるのだろう。私は皇居前でたまたま皇居に帰る車中の天皇夫妻を見かけたことがある。なんの感慨もなかった。テレビで見かけた顔を見たというだけだった。一秒かそこらだ。

どんな田舎だって、江戸時代だったら農民は自分が領主の領民であることを知っていただろう。その領主が位を得て領主をやっていることを知っていただろう。かれらは領主にその位を与えている誰かが遠くにいることをふつうにわきまえていただろう。それは「天皇を知っている」ことであるとして現代人は了解してもいいのではないか。

逆にいえば近畿の農民たち、庶民たちだって、天皇が何をしている人か知らなかっただろう。御所を知っていただろうし、御幸の車や輿を見かけたこともあったかもしれない。しかし、当時の天皇がなにかをしているところを見た庶民はまずいないといってもいいくらいに少数だったはずである。

封建時代だから、もちろん、偉い人はなにもしないのである。かれからの命令だけが下々に伝わってきて、それを発するところを見た人はいない。それが本当に天皇の言ったこと考えたこと望んだことであるかどうかを、庶民が明かしうるはずもない。

封建制の位階のそれぞれを、それこそ下っ端の人間がいちいち把握していただろうか。下級武士ならしていたかもしれない、いや、していただろう。しかし、武士以外はまあ制度外の存在だった。もちろん農民は別だった。米が通貨の時代にあっては、彼らが武士の財産だったからである。

禁中法度を無視し宮中に遊女を招きいれたり、遊郭にまでおしのびで出かけた。(http://ja.wikipedia.org/wiki/後水尾天皇

こういうシチュエイションまで顔を隠すわけにはいかない。う〜ん、遊女は制度外?