私が篠田先生を尊敬する理由

もう端的に、外人を毎回(にちかいくらい)画面に出してくるからだ。そういう原作とはいえ、『沈黙』のころからそうだったのだ。外人を出さない日本映画は、もうその時点でわたしは減点して評価してしまう。世界には、外人が、いるのだ。たまに、まだ若いのに、日本には外人がいないかのような映画をつくってくるやつがいて、そういうのはげんなりするのだ。

ある種の日本人が北野武松本人志を嫌うのも、北野らが外人をつかうからではないかと疑っている。ある種の日本人たちは、外人様を笑ってはいけないという心理規制が強すぎて、外人が画面にでることそのものを嫌うのだ。