「パロディ」の先触れ

『秋津温泉』は音楽が始終鳴っててうるさいし、物語もなんだか偉そうだなあと感じて、好きではなかったのだが、どこかで読んだ文章には(最近こればっか)、監督はこの作品を太宰のパロディとして仕組んだのだそうだ。『斜陽』とか『人間失格』あたりかしら。そうすると吉田喜重が偉そうなのではなく太宰が偉そうなのかと思ってこれはちょっと面白かった。


戦前のその当時は、洒落でもなんでもない真面目なものだったのに、戦後になったら洒落だったとしか思えない、「現実」が自己の前にそういうものとしてしかあらわれなかった世代は、戦後史もまたパロディにしか思えなかったのだろうか(太宰があともう15年ほど生きていてくれてたらなあと思う)。内実を虚ろに感じることしかできないならば、形式にすがっていくしかない。