「よろしいです」という盲点

上記リンク先でkanimaster氏が「よろしいです」を例に挙げていたのには盲点を示された思いがする。私は「よろしいです」にまったく違和感を感じないのだ。「危ないです」には幼さ拙さを感じてしまうのに。こういうときにはまず『江戸語の辞典』である。もともと歌舞伎用語だったのが文化文政期に大ブレイクして、意味を一意に確定できない「応答詞」になってしまったそうなのだ。「よい」というニュアンスはその時点から言葉に帯びはじめたのではないか。私は無意識に「よろしいです」を「よいです」の高級表現だと思っているのではないか。

たとえば「宜しくやってやがらァ」は、本来は「勝手なこと(自在なこと)やってやがらァ」という意味なのに、私を含む多くの人は「うまいことやってやがらァ」という意味に解するのではないか。