『リア家の人々』

どうしても『ニレケノヒトビト』を連想するよな。北の小説をかつて橋本は絶賛していたし。

砺波文三はもうひとりの本多繁邦なのかと思った。近未来小説としての『天人五衰』の拙さを橋本は指したことがあったから、今作はそのフォローという面もあったかもしれない。

かなりいい。引き込まれた。上の姉たちがラジオを移動するところ、長女の息子がジュースをせがむところ、特によし。

愛と性がつながっていることは分かっている、しかし帝大を出た俺に、匹夫下郎と同じ真似はできない、そういう意味で「愛」に悩む文三と、戦後世代の石原が対比される。

文三の自我は国家という「おかあさん」に支持されていたから、ある種の柔和さと、そして他人には信じられないような鈍感さを兼ね備えていられた。しかし、石原にとっての自我は、国家に並び立ち、国家を作っていく主体であったから、文三よりさらに孤独になることを強いられる。だから文三は不潔となじられ、石原はバカ(他人を受容できない)と誹られる。そして静も、秀和も、主体を確立するためにはバカになるしかないのだ。そして、あの1980年代がやってくる。すべての人間がバカになることを強いられるあの時代が…。