仮装の死

筒井康隆の「仕事」大研究 (洋泉社MOOK)

筒井康隆の「仕事」大研究 (洋泉社MOOK)

中島梓が純文学批判を筒井康隆にもとめて筒井はそれに応じられないとしたエピソードを小谷野さんが書いていて、なんだかせつない。

断筆は、それまで書かれていた「死」のモチーフの仕上げとして挙行されたのかもしれないなあと、ふと思った。同じ頃ビートたけしもバイク事故をおこし、あれは無意識裡の自殺であったとのちに本人がうそぶいたものだが。『ソナチネ』で描いていたことを実践したのだともいえる。

死んだのだから超自我(純文学!)はなくなって、筒井は、衝動のおもむくままに断片的なアイデアをそのまま書き付ける方向に向かったのだともいいうる(狂いかたをいちばん指南されたいのは筒井自身だろう)。『ベラス・レトラス』の著者登場など、読者が既視感とマンネリ感を催して軽い倦怠のうちに読むであろうことすら想定した虚ろなものだったが、死後の世界とはもともとそういうものだ(『ヘル』)。

同時代ゲーム』あたりからそれまでの読者が離れはじめた大江健三郎が、岩波文化の世界へ井上ひさし筒井康隆を誘ったのは、ようするに1980年代の文化の一挿話であり、端的に「ヤゴー」なのだが(パパにもかっこよくなってもらいたいと子供たち(SFファン)は思ったのだ)、最初にいなくなるのが井上ひさしだったことが筒井には意外であったようだ。ふとYMOのうち最初に死ぬのは誰だろうなどとも思う。