『輝く日の宮』(大についても)

大事なのは、丸谷才一じしんは別に徴兵忌避もしてないし、国学院大学に骨を埋める気もなかったであろうということだ。一介の自営業者としての自己をたんたんとリアリズムで描く小説をものする気はさらさらなかったということ。小説が主人公を要求し、ヨナや浜田を召喚した。軍隊のいじめ・しごきに堪えかねて自殺した浜田の友人柳(彼は小説では浜田の回想を通してでしか描かれなくて、そのセリフは記されない)に、浜田がうっかり思ったこと「柳の奴、馬鹿だなあ」「ずうずうしくしてればいいのに」。これが丸谷の本音でない証拠は、どこにもない。多くの日本人は(たとえば、江藤淳とか)、柳のようなもの。丸谷がそう思っていない証拠は、どこにも…。

さあ、一気にタイムスリップ。私が生まれる十年も前の『笹まくら』から、『輝く日の宮』である。2003年は、平成何年だったっけ。自分なりの小説が業界で一つの流派となってしまったため、この時期の丸谷は、あんまりイライラしていない。男の自分が女を主人公として小説を書く際に、「女が描けているかどうか」を気にすることも、過去の迷信となりはててしまっていた。そういえば、ノストラダムスの大予言も、嘘だったことがばれてしまっていた。おれが『笹まくら』を書いたあとに、フィリピンからかえってきた男たちの話も昔話になってしまったなあ(「あれは何とかいふ日本軍の将校がフィリピンの山のなかから出て来たときだつたかな」)。あれは想定外の過去からの呼び声だった。おっと、想定外という言葉は2004年からはやりだすのだったかな。結局おれも日本人でしかなくて日本の社会のなかで交わされている話柄のそとにはでられないんだった。

あはは、杉玄太郎が大をつけるかつけないかの話をしているよ。和泉錠は大楠公と大西郷だけだった。女学者が漱石の未完作を完結させたことが、とりあえずは発想のもととなったのだろう。1980年代、1990年代の文化を、自分なりにまとめてみよう、と。

和泉錠が戦前の学者のくせに網野善彦みたいなのには、いかなる理由があるのか。熱烈な網野信者の宮崎駿が、司馬遼太郎のあとをついで「国民作家」となったのも、『輝く日の宮』が発表された21世紀初頭のできごとである。ナショナリズムに抗した人がナショナリストにならない理由など、どこにもないのである。