再読文字を読み下す文化が廃れた

なにも「須く」だけが、誤用されてきたわけではないのだ。日本文化から再読文字を読み下すセンスが衰えたのだ。「宜しく」も誤用され、「ならでは」も誤用されているのだ。

再読文字に限らない。たとえだが、私はたまに「リンゴとミカンを」と書いた後、気になって「リンゴとミカンとを」と書き直したりすることがある。いまさら気にしても仕方のないことだが、本当は後者の方が正しいはずだったのだ。

文語は宜しく白文を読み下すように述べるべし。公式の文章は(だってあなたのことをわたしは知らないんだ。これを公式の関係と呼ばずに何と呼ぶのか)そういうルールだったのが、もう遠い昔に破れてしまっていた。