現代すべからくは「すべて」の高級表現では、ない!(義務のタイムスパン)

なにを高級とするかの定義にもよるが…。

どうも同じようなことで考え込んだ人がほかにもいた模様である。
http://d.hatena.ne.jp/sci98/20080925#1222356859

サイ98さんは、現代すべからく=「当然の意」説をとなえていて、はてなキーワードの執筆者氏と同じようだが、私は「全部がそうであることの現認」ではないかと思うのだ。

サイさんの挙げる「三笠フーズ叩きの意見に対する反対意見はすべからく擁護意見であり、関係者の火消しだ」という文だが、これは話者がいまだ見聞していない「反対意見」のなかに「擁護意見」や「関係者の火消し」以外の性格を帯びた発言の存否を想定しているかどうかと考えると、この話者は、そこまでは想定していないように思える。そうだとするなら、その程度の観察を「当然」と強弁するのは無理がある。

話者にとって知悉するかぎりの現実がごく単調なある一様さを示していて、そのことに話者が反抗する感情をとりたててもたない場合に、現代すべからくが使われるのではないか。

正式すべからくは義務の意味に限定された言葉だから、過去や現在は対象としない。言われた直後からの未来を拘束するものだ。帝国議会の発言における「須く」用法を眺めても、それは分かる。養蚕業を政府は奨励しかつ保護せよ。朝鮮総督府は法規解釈を大法院のそれと合致させよ。小学校教員はおのれの天職をまっとうせよ。我が国の財政は応急政策に精進せよ。都会の失業者を農村の生産増強分野や平和産業へ転換させろ。どれもそう、みんな「これからそうしろ」と言っているのだ。


これはやはり、民主主義がすべからくを一旦破壊したのち再編成したとみるべきなのだろう。現代の国会の例をみると、現代すべからくが「話者の知悉する事実の一様性」を意味していることがわかる。高校無償化制度は日本国外にも一様に及びはしない。私がどの状況においてもあらゆる方々に話したことは…。業務停止命令の制度は一様にしかるべく整備されている。判断の難しい案件はみんなしかるべく厚生労働省に相談してほしい。米軍の訓練が米軍との協定にのっとって判断した場合に一様にしかるべく協定違反だとまでは判断できない。どれもそう、みんな「いまはこうなっていてそしてそれらは一様だ」と言っている。

呉智英などがすすめる「おしなべて」には、「いまのところ」という要素が欠けているのだ。これらが、すべてとしかるべくの合成語(あるいは、全てにはなり辛い?)としての「すべからく」を、誤用ではなく独自の価値観をもった言葉と判断する理由である。

これでも「現代すべからく」を誤用と判断する者は、「現代よろしく」もまた、べしで閉じない誤用なのだから「宜しく」も同じように排斥すること。


あるいは、現代すべからくにも意味の揺れがあって、使う人によって多少意図がずれているということは言えるかもしれない。サイさんの例をいじるとすれば「三笠フーズ叩きの意見に対する反対意見はどうせみんな擁護意見であり、関係者の火消しだ」。これなど、わりとうまく訳せていると思うが、どうだろう。

「すべてしかるべく」と「どうせすべて」の現代すべからくがあると。「この世はすべからく色とカネ」即席で作ってみたが、こんなこという人は、わりにいそうである。「この世はすべて」だと、どうもツルっとしているのである。