『わたしを離さないで』と『レギオン』

どちらも居眠りしてしまったので、作品まるごとの評価は下せない。しかし、ちょっと思ったことがある。私たちはいつか死ぬことを知っているのに、なぜか『わたしを離さないで』の臓器提供者のような境遇を憐れむのである。よく考えたら不思議なことである。中学生の頃、死の恐怖に囚われた私は映画のトミーのように泣き叫んだものだが(心のなかで)、いまは平然として毎日をすごしている。せいぜい迷うくらいにしか頭をつかわない羊になった。

さすがに天使なんていないなどとはもうことさらには言わないのである。そういう私が見た、なんだかターミネーターチックな『レギオン』のミカエルである。おいおいどうする本当に審判の日が来ちゃったよ、でもそれを回避する裏技があるんだってよ。ここ40年ほどさんざんくり返されたサバイバル系ホラーアクションのクリシェでありながら、その拠って立つ論理をもういちど整理し直した。『レギオン』はそういう映画であるようだ(なにしろ居眠りしていたので)。『レギオン』が『ターミネーター』や『ゾンビ』の真似をしたんじゃなくて、『タ』や『ゾ』は宗教的な救済にかんする話をしていたということを『レ』が解説しているの! というわけ。