キルケゴールやサルトルは医学に興味がなかったのだろうと思うしかない

じつは私は映画も文学も生物学に総合しうると思っていて、しかしフィルムや活字は物だから、生物であるヒトとは食い合わせのよしあしが生じてしまう。

言語というのは、人類が最初に創造した「物」なのではなかろうか。

実存主義という訳語も罪作りで、実存なんて本当は自我でじゅうぶん間に合ったのではないだろうか。言語で実存主義をやろうとしたら、それはたしかにおかしなことになってしまうに決まっているのだ。自由の刑などあるはずがない。明瞭なはずの罠に哲学者たちは気がつかなかった。