「無意識実在論」

どうも誤解があるようなのだが、無意識というなにかがあるのではなく、これは、心はあくまで広大なものだから、意識に収まらない部分がある、という意味なのである。

私は個人的に「意識」という言葉を社会から廃して「注意」という言葉に置き換えたいくらいに思っている。「意識」という言葉は、どうも、無用ななにかを帯びている気がするのである。「生物」と表現すればいいところで、わざわざ「生命」を選ぶたぐいのなにか。

「無意識」よりも「無注意」のほうが、あのボーッとした感じをとらえ得ていると感じる。フロイトも患者の問診に催眠術を使っていた時期があった。