不思議なひとびとと思想的な「しっぽ」

『真実主義 明解サイキック讀本II』という本を買ったのだが、1996年5刷なのにけっこう美本である。付録が虚構のスポーツ新聞で、「北野誠、芸能界から追放か?」という見出しで、なんだか感慨深い。もちろん「放」と「か」のあいだで折られているのである。

「真実主義」というのは、「まことしゅぎ」と読むらしい。

なぜこの本を買ったのかというと、安かったからというのが大きいが、竹内義和に興味があったからでもある。この本には『パーフェクト・ブルー』の原型とおぼしき小説「涙、あふれて……」が収録されている。

私にとって不思議な人々というのは、竹内や堀井憲一郎などの各氏である。いとうせいこうとか、宮台真司とか、岡田斗司夫坪内祐三などの人々は、おおざっぱにいえばみんな同じようなところにいて、しかしあまり重ならないジャンルからそれぞれ選んでみたが、そんなに「不思議」な感じはしない。たしか堀井氏は私が子供のころからテレビにでていたはずで、見ていた記憶がある。

総論をいわないひと、というのは、やはりみていて落ち着かない感じがする。よく思い返したら、堀井氏はちょっと総論じみたことを言って、私がそれに疑問を感じたこともあった。(『若者殺しの時代』)

総論というのは、しっぽのようなものなのかな、と思う。しっぽがあったら、それをつかむことができるわけだ。しかし、人間というのは、基本的にはしっぽがないものだ。よく考えたら、直立二足歩行ができることなんかよりも、より重大なことなのかもしれない。人間にしっぽがないことは。