政府にたいするストックホルム症候群

 整理していたVHSのなかから、森谷司郎版の『日本沈没』を発見して、このところ寝ぎわに眺めていたのである。

 樋口真嗣によるリメイク版では、草彅剛演じる小野寺俊夫の自己犠牲によって日本沈没(の完了)を辛くもまぬかれるあたりが、話の山場である。

 森谷版は中学生のころか、テレビ放送で見たきりで、さして感想もなかったもので、今度みたVHSも、ダビングしておいて見ずにいたものだったようだ。

 樋口版にくらべて、話のメリハリがないような気がしていたのである。日本が沈没しました、生きのこった日本人は、難民として世界各地に散らばりました。おしまい。そういう印象だったのである。

 震災のあとに、といっても私は東京にいて、ボランティアに参加するでもなく、パソコンのモニタごしから惨禍を眺めていただけなのだが、その私が見返した森谷版『日本沈没』は、丹波哲郎演じる山本総理と島田正吾演じる渡老人との会見シーンに顕著だが、危機に直面した人間が「なにもしないほうがいい」という決断を下し、その判断に自ら感動し酔いしれる映画であった。

 そうか、そういう心模様が、山場であるのだったならば、それは中学生の私には理解できなかったはずだ、とこう思ったのである(脚本は橋本忍)。

 震災から一月半ほど経ち、人心が急速に安定に向かっている気がする。私は昼間表参道を歩いて帰ってきたのだが、東京は平和そのものといった感じだった。

 ストックホルム症候群というのは、あるいは平和の別名なのかもしれないなあ、と思いながら帰宅したのであった。