瘋癲

そういえば、『瘋癲老人日記』から、フーテン族を経て、「フーテンの寅さん」へ至る「瘋癲」の変遷というのもある。「てんきょういん(癲狂院)」なんて、今時、いきなり聞かされても、なんのことか判らない言葉だ。


寅次郎というキャラクターを、テキ屋とか流れ者とか、呼びづらかったから、「フーテン」の音を充てたわけだ。当時の「一般人」は、非行少年については語れるが、テキ屋や流れ者については言及しがたい感情を抱いていたのか。


島田紳介が「やくざ」という語を発するのに躊躇して、組織組織と連呼するのを聞いて、私はこういうことも思った。人権に配慮する民主的な戦後社会は、このような精神分析的な言いよどみや言い換えを、折にふれて遺してきた。