数秘術まがいの文芸評論

小谷野さんのブログで、こんどはじめて米光一成や川田宇一郎の名前を知った。


小谷野さんの短評をみると、どうも数字の辻褄あわせという名の知的操作に著者が没頭した「謎本」であるらしい。


私はこの手の書き物にかなり強い嫌悪感を持っていて、これはもしかしたら精神分析にたいして小谷野さんが感じる嫌悪感に近しいものなのではないかと思っている。


たしかに精神分析も、ホビーとして楽しむには十分面白いけれども、その理論を応用して文芸作品を解いても、――とくに、作品の秘密を精神分析で暴けるかのように文芸作品に対するのは、愚の骨頂だと思う。


岸田秀もデビューのころは、得々として太宰や宮沢賢治や三島などの作品から著者の精神分析を披露していたが、なにか感じるところがあったらしく、早々とそういうことはやめている。


自分の感じる心を開放することを恐れる、ある種の現代的心性が、人をこの種の文芸評論に走らせると思うのである。手っ取り早く回答を得たいと思う心が飛びつく、陰惨なホビー。


文芸評論の本道は、かつて自分が味わった他人の作の美味な部分をあれやこれやと読者の前で反芻しながら、自分の主張を他人の表現に仮託する詐術の芸であるべきだ。