小説「失われた男を求めて」

昭和の終わりか平成の初めの頃、女は駅前の大型スーパーに単3電池を買いに向かっていた。女はこの東京郊外の新興住宅地に越してから運転免許を取得して軽自動車を日常の足にしていた。電池はビデオデッキのリモコンのためのもので、他のついでが何も思い浮かばなかったので、電池のためだけにわざわざ車を出したのだった。女の息子は、女がパートで働きに出るのに慣れているので、家の中に一人でも平然としていた。女はそれを知っていたので、特に息子に構うことなく黙って玄関を出たのだった。歩道の向こうになだらかに畑が広がり、民家が点在している。歩道には欅が並木として植えられていて、欅3本ごとに一つの彫刻が据えられていた。女は信号待ちのあいだ側の彫刻を何となく眺めていた。車輪に少女が寄り添っているブロンズ像で、プレートに刻まれた題名は読み取れなかった。女は息子のことを思い浮かべた。息子はチョロQのようなおもちゃに夢中になっていて、チョロQが大きくなったようなそのミニ何とかの為に電池を勝手に使ってしまうのだった。女ははじめ息子を叱って、しかし全然言うことを聞かない息子に呆れて、結局は放任してしまうのだった。それまでは予備として押入れに何パックか電池を保管しておいたのが、息子が使い切ってしまうので、最近は足りなくなったらその都度買い足していたのだった。すると息子はすでに他の用途に使われていた電池を探して取り出してきては自分の遊びのために消費しはじめたのだった。信号が青に変わり、雨が少し降り出して、女はワイパーをつけながら車を発進させた。買い物を終えて立体駐車場に戻ったら雨足は強くなっており、駐車場を構成する銀色に塗装された鉄骨が雨に濡れるのを女は美しいと思った。暗い曇天がほぼ夜の闇に取って代わり、信号の赤が、濡れたアスファルトの面に映って、女はそれも美しいと思った。こんな自分だから、自分から生まれた息子がああも内向的なのは当然なのかもしれないとふと思った。子供に食べさせる夕食の献立を考えながら、ふと女はガスメーターの残量が僅かなことに気づいた。少し遠回りして町外れのガソリンスタンドに寄ってから帰ることにした。一人に慣れた息子は、多少腹を空かせても適当に案配して如才なく始末をつける術を知っている。息子自身だけでなく、女もまたそのことを知っていたのだった。(続く)