板坂剛研究

1970年代後半の『映画芸術』の表4ほかの場所で板坂剛というひとが、村上龍にたいするネガティヴキャンペーンのPR広告を打っていたことを知る人は、もはや数えるばかりとなってしまったことだろう(なんだこの文体は)。

1977年10月号。「先行馬」の「試作第二号」。クレジットは「企画 先駆文学会機関紙「先行馬」発行準備委員会 制作 出版グループ EMS」とのこと。これが題名の右肩で、左肩にモットー?として「無責任な中傷や揚げ足とりの言論は三文の価値もない。世界は一家、人類は兄弟姉妹。みんなで考えよう、これからの世界」とある。

新聞の見出しを模して大きく「村上龍遂に敗北を自認」とある。以下文章が三段にわたって掲載されている。それは「ロックは凶器だ。文学もまた凶器であるべきだ。だがベイシティローラーズの出現はロックンロールを十年後らせた。全く同様に村上龍の出現は日本文学に十年の後れを強いた。今や「文学」という言葉さえミーハーの代名詞になろうとしている」とはじまる。

適宜その言辞を引用すると、「燃えぬドラゴン村上龍」「インテリ少女雑誌『ユリイカ』」「長谷川さんあんたナメられてんのよ。判る?」「ワイルダーの『地下水道』ねえ。そんな映画ありましたかねえ」「この人ギンギラギンのミーハーね。こんなクソアホが編集する『ユリイカ』なんて雑誌もう絶対読んでやるか!」などとある。

要するに、村上龍ユリイカの7月号(1977年なのだろう)にインタビュー談話を載せていて、ワイダをワイルダーととりちがえたりしているのをつっこまれていたわけである。村上が映画を好むことをEMSは許せないらしい。村上が楽しげに映画話に興じるのを「(文学者としての)敗北」と看做している。

板坂の小説作品には「作品IV『Rの誘惑』」「作品V『F』」などあったらしい。

映画芸術』1979年2月号には、『午前三時の白鳥』の広告が、「徳島商業 文化祭で板坂剛広告展示会」の報告文の下段に掲載されている。著者は「もしこの小説を読んでなお板坂剛の偉大さを理解しないやつがいるとしたら、あとは寛大なる慈悲をもってその腐った脳ミソを鉄パイプで叩き割ってやるだけだ。(著者)」と、そのいきごみも猛々しい。これは印美書房刊。検索すると、わりと真面目な出版社のようなのだが…。