『天才伝説 横山やすし』における高信太郎

これは小林にしても筆の運びを迷った箇所だろうと思うのである。新刊で読んだときも読者である私は正直とまどったし、今でもあれでよかったのだろうかと思う。

若い頃の小林信彦が、若さ故の衒いからか、結果的に無神経なことを他人に対してよかれと思って口にして、あとでその心なさに自ら思いいたって血の気がひく思いをするというエピソードは、本人がいろいろ書いている。

『天才伝説』にしても、では、高信太郎について省略できたのだろうか。ぎりぎりで、それはできない。小林はそう判断したのだろう。友人である荒木経惟を、高が小林のことを知らずに馬鹿よばわりしたことが小林の高に対する反感のスイッチとなったのは大きい。しかし、ほんらいこの箇所の眼目は、高(と、横山の愛人)が横山の部屋から退出した後、それまでいくどか面識をもっていた小林信彦にたいして、横山やすしが情動失禁をもよおして号泣したということにあるのである。

ここで読者である私は、一視聴者にすぎない私がなんとなく横山やすしのことを、おおよそは知った気になっていることに気づいて、ぞっとするのである。横山が息子らの将来を気にしていたことを教えられても、私たちは特に何とも思わない。「横山を知っている」から私たちは何とも思わないのだ。私たちは、横山については知ったような気になっているが、高についてはそうではない。しかし、著者である小林信彦は「私しか知らない横山の秘密」をバクロしているのである! 小林は自分だけが知っているフレッシュな体験を書き残しているのに、私たちには既視感のヴェールがかけられていて、そのフレッシュさを感受できない。だから、高は、小林の体験の迫真性を読者にたいして担保するため(だけ)の生贄にされたのではないかと、私は思うのである。

大事なことなんだけどさぁ、高信太郎は、小林信彦にむかって、本当に荒木経惟を馬鹿にしたのだろうかね。「もの書きなんてみんなウソツキなんだよ」。

しかしここはよほど微妙なところで、横山とあった後で小林は自室にもどってやおら文庫になった横山の自伝を繙くのである。このシーンの強烈な皮肉に、小林はどこまで自覚的だったのか、それがよくわからない。