『自由と禁忌』(江藤淳)

『裏声で歌へ君が代』を読み進める前にちょっと寄り道。冒頭の江藤家新築の話が示唆的だと思うのだ。これは、低成長時代がおわりバブルを目前にひかえたこの当時、江藤自身でさえ、ちょっと油断すれば丸谷や小島信夫や大庭みな子らのようになりかねないという危機感から書かれた批評なのではないか。この本から15年ほど後、たえざる叱正の果てに著者は自殺する。

読んでいて思ったが、江藤の丸谷嫌いは、江藤が文壇に若くして入ったことに起因しているのかもしれない。メインストリームに位置するのにしばらくの時間を要した丸谷は、それを気にしていろいろと他人の耳目をひくために奇矯なことも言ってみる必要があって(そのなかには、自分より40年ちかくあとにうまれた大学の後輩に「児戯に等しい」と評されるようなものまであった)、それらの努力を江藤が苦々しくながめていたということはありそうだ。

それにしても、丸谷や小島や大庭ら(みな江藤より年長の作家たち)につぎつぎ駄目出しをして、年下の中上健次を称揚する『自由と禁忌』の行論には辟易する。私は「文字より声の尊重」などオカルトにすぎないと思うしね。しかしせっかくほめた中上が早死にし、田中康夫は文学を捨て、認めなかったW村上が出世して(それらのなりゆきすべてを江藤は自分の目で見なければならなかった)、江藤の世代の(小林信彦! この人も世に出たのは早かったのに、文学の人として認められるまでは遅かったし、あるいは未だに認めない人も多くいるだろう)運のなさというか目の悪さというのが印象に残る。坪内祐三(小林についてはよく言及するが、江藤については…)の『別れる理由』の解説本に、江藤のことがどれだけ触れられているのか、チェックしたくなってきた。