2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧
アメリカでやってる映画はみんな日本に入ってきてテレビで流されてるって無邪気に思っていた。しかし、よく考えたらアメリカだってカリフォルニア州だけじゃないんだし、「アメリカでやってる」という考え方じたいがナンセンスなものだ。胎盤が母体の血液を…
自分の育った家庭と、いろいろ対比しながら読んだ。ちょっと驚いたのは、小谷野さんが交通事故に遭っていたことで、これは読んだおぼえがあるから、はじめて明かされたことではないはず。それで、なにに驚いたのかというと、種と仕掛け、ではないけれど、反…
日本人が海に囲まれたのんびりとした環境で、自分勝手なことを考えているのが、地続きで中国シナのプレッシャーにさらされ続けていた自分たちといやおうなく対比されて、それでいらつくのだろう。日帝の植民地支配も、これは同化政策で、考え方によれば、日…
なんで犯人があんなおばさんだったのかを考えているのだが、『ハロウィン』のマイケル・マイヤースとの差別化というのもあったのだろうか。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006572542 日米エスタブリッシュメント同士の合作、というところなのだろうなあ。相手に条件なんか付けさせないぜ! として自国民をひっぱったアメリカ政府。国体の護持という条件を飲ませたんだから、無条件降伏なんかじゃなか…
だからこその「先生」なんじゃない? まあ日本風の、筒井康隆が若い頃よく言及した、あの「先生(センセイ)」は別か。センセイ、センセイと持ち上げた相手に、「なんだよお前」と応じられたら、持ち上げたほうも憮然(ムッとするのほう)とするだろうな。
『13日の金曜日PART2』も面白い。シリーズ化に際して、殺人鬼をヒーローとして描写することに、まだ製作陣が及び腰でいる様子が伝わってくる(私たちは、この作品からほぼ30年にわたる歴史を知っているのだ)。とはいえ、現実世界においては、1970年代から、…
どっちも文化だから、あってもなくても構わないんだよなあ。無けりゃ世界は健康になるか、平和になるかっていったら、そんなことはないんだし。あれば皆が嗜んでハッピーかといえば、そんなこともないんだし。しかしアメリカ人の戦勝パレードは(とくに第二…
どうやら神様は、私をそのような存在に御造りになったらしい。だいたいユダヤ人虐殺ってナチスがはじめてじゃないし。規模がでかいからナチスは別格だ? じゃあ原爆と問題のレベルは同じなんじゃないですか。戦車廃絶とか、哨戒船廃絶とか、誰も言ってない(…
http://twitter.com/YANA1945/status/20705310354 売りまんこ、売りおめこ、売りほーみー、売りぼぼ、まあなんでもいいですけど、こういう言葉を穏やかに置き換えて「売春」なんでしょ? 回春というのもあるな。どっちにしろ知らなきゃよくわからない。春な…
渡辺照宏『外国語の学び方』(岩波新書 1962刊)に、外人外人頻出しまくってる。
最初に京都に落としていたら、天皇は何を思ったろうか。1945年の7月、日本のエスタブリッシュメントは、あるいは、ずーっと呆然としていたのかもしれない。千年前には平将門と諍っていた日本の権力者は、ついに異民族の支配に屈する危機に直面していた。トル…
昔、『ぬえの名前』かなにかで、橋本治が「サルマン・ラシュディなんて知らない」ということを言っていて、なるほどなあと思ったことがある。石原慎太郎がまだ若い頃、小説家の会合で、時間が余ったことをきっかけに、会のリーダーが「安保反対」を軽い気持…
そんなに簡単に矜持だなんて言葉を口にしないほうがいいと思う。『ミリオンダラー・ベイビー』で、プライドを賭けてリングに赴き、あっさりと鼓膜を破って敗北し、簡単に首を折って敗退する女たちを見たすぐあとには、そのようなことを思う。どこだって、リ…
母親の幻影にとりつかれた息子の映画である『サイコ』を、ひっくりかえしただけなのだが、これが出るまでに20年かかったのが面白い。『サイコ』のあとにアメリカ社会が激動の時期に突入してしまったので、要素を組み替えただけの単純な企画が出るまでに、け…
『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクの母親は、怠け者で、みずからは働かずに生活保護のカネをあてにしていて、娘の寄贈した家を娘の死後も確実に自分のものとして保全しようと、法律上の書類へのサインを、病床のスワンクに強いるような我が…
生存と闘争と、後悔を主題にした映画作品。イーストウッドが演じているので、つい調子が狂ってしまうが、これ、イーストウッドが演じたボクシングジムのオーナーだけが、「生涯、勝負に出なかった男」なのだ。他のキャラクターは、みんな勝負に出て、結果を…
観終わってから、なにかをずっと思い出せない気がして、ひっかかっていたのだが、家に帰って寝て、目覚めて、思い出した。そうだ、『ボーン・コレクター』ってあったじゃないか、と。半分寝てた。『ダイ・アナザー・デイ』そのまんまの冒頭で、おいおい本気…
「教養」関連。あまり江戸時代以前の儒教って聞かないなと思っていたら、やはり仏教のサブカテゴリだったらしい(http://ja.wikipedia.org/wiki/儒教#.E6.97.A5.E6.9C.AC)。「仏教」というと、なにか日本にもそれなりに確固として根づいた文化である気がし…
彼らにとってB.C.の時代は、野蛮な時代で、救い主があらわれてからは、今度は最後の審判までの期間が、そのままの状態で保存しなければならない「現在」であることになった。過去と現在と未来がカッチリと決まっているのだ。そして、現在の時間にキリスト者…
皮丘も目にみえないこともないが…。そういえば「木理」という誤記ないし誤植を誰かが指摘したのを読んだことがある。「肌目」と間違うのなら、わからないでもないのだが。なぜ肌にかんしてことさらに肌理という表記なのか、よくわからない。きめという音があ…
100歳以上の老人たちの話。不謹慎なのかどうかわからんが、可笑しくてしかたない。役所の人が、安否(存否?)を目視で確認することは業務にない(大意)なんて、テレビで神妙な顔でのたまっていて、もう、抱腹絶倒である。出生届だけがあって、死亡届が出さ…
市民社会が充実しはじめた19世紀ドイツ(プロイセン)で、ある価値観が勃興する。宗教のように、世俗の文学についてもコレクションを行い、それらを(文典として)利用するのではなく、(作品として)ひたすら享受せねばならないという価値観。それが、日本…
ネットやブログに批判的な著者の本をブログで賞賛するのも妙なものだが…。私流に噛み砕いていうと、こういうことだ。身分制度がカッチリしていた過去のころには、友情というのは、同僚にたいする感情のことだったり(キケロ)、公務をはなれたつきあいにおけ…
畳の目など、スリット状のものをなぜ目と呼ぶのかと考えていたら、自分が思い違いしていたのに気づいた。なぜもなにも、スリット状だからである。瞳のあるスリットが目で、なければ口である。目といわれてただちに閉じた目を想起することはあまりないが、閉…