2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

妙な話

『秘密とウソと報道』を立ち読み。草薙厚子の章を読んで、家に帰って調べたら、日垣隆は草薙ばかり非難しているけれど、この鑑定医のとった行動もわからない。少年が殺人者かどうか決めるのは家庭裁判所であって、当人がそれに鑑定医として関わっているのだ…

西園寺公望

西園寺は留学時代にパリコミューンを目撃して不快に思ったらしい。まあ西園寺の生まれからして当然だろうとは思う。正式な結婚をしなかったことに興味をひかれるが、とくにこの本でもつっこんだ考察があるわけではない。二十代のあいだ十年近くずっとパリ暮…

笑い方

じつは抑えて書いていたのだが、六月あたまに行ったトンデモ本大賞で居合わせた「笑う観客」というのは、ちょっと変わっていたのである。舞台上で演者がする前ふりにいちいち反応して、「え? え?」と言うのである。これがうざいというか、不気味だった。「…

明治

議会開設までの二十年間をまったく知らないので、勉強になる。それこそ、廃藩置県が行われた、富国強兵がとなえられた、西南の役が起った、自由民権運動が盛り上がったことぐらいしか知らなかったのである。文学運動の意味ががらりとかわって見えてきた。つ…

明治のなかの金之助

島田雅彦は二十代ではやばやとカプセルの中の桃太郎を書いてしまったが、漱石もまた明治のなかしか知らない金之助だった。漱石だって遅れてきた青年(昭和にうまれた私からみれば坊っちゃんで生徒が反抗的なのとかじゅうぶんに「現代」である)で、しかし明…

悪い奴ほどよく眠る(と、マルサの女)

マルサの女の権藤が杖をついているのは、この映画のよし子がそうしていることの引用なのではないかと思うのだが。板倉の母は私生児の母であり、つまりはマルサの板倉亮子とおなじく「シングルマザー」なのだ。もちろん権藤という名前は天国と地獄から来てい…

黒沢明における想像力

素晴らしき日曜日から二十数年たって発表されたどですかでんの、想像力という点においての苦さは格別である(しかしこの時点でおれはまだ生まれてもないんだよなあ…)。ほとんど敗北宣言なのではないかとすら思うのである。一九八〇年代に吉本隆明が資本主義…

破壊衝動、逆縁の想像力

戦後六十年がたち、物資にまみれて、過去にさだめられた約束事にがんじがらめになっている日本社会にあって、想像力というのは、目の前にある事象をいかに無視するかということに目的が変わってしまった。かつての快い経験(素晴らしき日曜日における未完成…

想像力の末路

さようなら、私の本よ!の文庫版の著者コメントを立ち読みしたのだが、あいかわらず区切りをつけたい心理を大江はのぞかせていて、やりたい仕事をやれずに死んだ人に申し訳ないからと断筆を撤回したはずなのにどうしたことかと思う。大江健三郎の創作活動は…

想像力の時代

黒沢明の素晴らしき日曜日を見た。よかった。私にとっては七人の侍などよりもずっと尊い映画だと思った。ないものを想像力によってあらしめる。こういう映画をみると、それこそ大江健三郎や大島渚の世代の想像力が不幸であったこと、学生運動世代の想像力が…

伊丹十三

マルサの女2で悪がはびこるエンディングにして、それが受け入れられなくて、そしてあげまんを作ったら、ヒットした。時代はバブル崩壊直前で、つまり、多くの人は目前の景気が終わることを考えていなかった。お葬式タンポポマルサの女あたりまでは、自分の…

お葬式

伊丹十三の映画。タイトルロゴの「お」の文字が良くない。前に見たのは岸田秀の本を読む以前だったのか。愛人とのシーンで、主人公の妻が丸太のブランコに乗ってこぐシーンがカットバックで挿入されていて、ちょっとくどかったけれど、再見して、おお、と思…

黒沢明

一九一〇年うまれなので十年ごとに区切ってみるとこれがけっこう区切れる気がする。東宝若手監督期の三十代(一九四〇年代)、世界のクロサワとして羅生門生きる七人の侍隠し砦の三悪人など連発した四十代、黒沢プロで悪い奴ほどよく眠るから赤ひげまでの五…

あの日、欲望の大地で

傑作なのでぜひ見てほしい。中田秀夫の「ハリウッド監督学入門」に出てきたリング2のプロデューサーたちの新作なのだと思ってみると、親子それも母子の話を深めていってるんだなということがわかる。それまで無人称に綴られた幾人もの物語の断片が、それを…

シャーロック・ホームズ

ガイ・リッチー監督って意外だ。ホームズが長身でワトソンが短躯というイメージがあるから、ダウニージュニアがホームズでロウがワトソンだなんて逆だろうと思うが、予告編をみるとロウは端正な感じをうまく消してる。

さそり

夏目ナナってこんな感じだったっけと呆然とした。声を吹き替えるだけでそうとう印象が変わる。短気な敵を(正攻法では勝てないから)自爆させるのはいいんだが、そのために人を殺すというのはなじめない。カットを細切れにして頻繁にフラッシュバックする編…

他人の顔

映画版。原作にはなかった兄妹の話がいい。差別の話になるとどうしても鮮烈になる(なってしまう)。本筋のほうは、原作どおりのモノローグ演出になってしまうので面白くない。事故が、主人公がモノローグを垂れ流す権利を獲得する根拠になってしまう。コー…

カラーと白黒

どん底のほうが古い作品だが、白黒のせいで、古くさくは感じない。どですかでんのほうが、カラーであるせいで、古くさく感じる、のだがどうだろう。いまはたちの人は、幼児の頃みた映画がジュラシックパークだったりするから、またちがう感覚を持っているか…

どですかでん

どん底が監督四十七歳ころの作品で、この映画は六十歳のときの仕事。あいだには赤ひげやらハリウッド作品降板事件などがある。三船的キャラが今作以降登場しなくなる。もしかしたら前に見ていた? 村松達雄演ずる京太が逃げ出すシーンに見おぼえがある。生き…

ジョン・A・キールが逝去していたらしい

山本弘情報。

遅れてきた青年

1961年に政治少年死すでもめて、1967年に万延元年のフットボール、1973年に洪水はわが魂に及びという流れはきれいなくらいに社会状況に沿っていて、しかし大江はそれ以前はどちらかというと政治からの遠さをテーマにしていたが、1960年代から遅れてきてから…

ランダムであることと、目的

ハービー・デントはジョーカーが仕掛けたふたつの爆弾のどちらかが爆発するのはランダムだった(さきに助けが来たほうしか爆発をふせげない)というジョーカー自身の弁明を受け入れる。ハービーは、ジョーカーが提示した論理に乗ることにしたのだ。ランダム…

風俗と象徴

荒正人が書き、平野謙が引いた「風俗を越えて、象徴の域に」という表現がひっかかる(94ページ)。石原慎太郎がさかんに風俗を描くことを主張したことなど思い出す。世代間抗争のような感覚のずれがあったのではないか。著者(大江)が、風俗という漠然とし…

殺し屋はいない

若いころの小林信彦や江藤淳が殺し屋なんて存在しないということを、それぞれ独立に文章にしていて、これは読んだときに面白く思った記憶がある。言われればそうなのかもしれないが、もうすでに映画でも漫画でも時代遅れの表現になっていたから。

ある、ない。信じる、信じない。

なんだこの流れ? 前から思ってたけどmailinglistってイタい http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1249613334/683 まあたしかに、2ちゃんねるをだしにして自分が酔ってるわけだからなあ。ねらーが不快になるのも当然か…。>証明問題だから、おれの中…

顔文字を読む人

http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/newsletters/CCC-vol3.pdf#page=2(^-^) の発案者が誰だか確定しているというのが盲点でした。だれとも知れずに流通しはじめたのだろうと思いこんでた。顔文字を読む人ってわりといると思いますけどね。確認とったことはな…

云の音符がない「ゲイ」はあった

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/ ここに「芸」で検索すると、でてくる。

身近な人が死んでもなかなか態度が切り替えられるものではない

藤岡氏が唐沢俊一が死んだ志水一夫の家を訪ねて蔵書の状態を調べにいく日記の書きぶりを軽薄だと怒っておられるが、さてそんなに怒るほどのことかと思うのである。どうも死者への敬意というものの考え方が抽象的でありすぎる感じがするのだ。ごく単純にいっ…

大江研のザブローニ博士

このごろ通うようになった飯田橋のブックオフに筒井全集がわりにそろっていてちょくちょくながめるのだが、初期のころの文章をよむとなんだか苦いものがこみあげてくるのだ。さて大江健三郎だが、世代ごとに世間は大江をどう読んできたかというのをだれか勤…

古い、新しい

私にとってはウルトラマンレオのほうがウルトラマンより古い。就学前にレオを再放送で見、マンのほうは十歳前後のころに見たからだ。本放送でみたのは80のみであった。どうもおれの世代は上の世代のように素直にオタクになれない傾向があるんじゃないかと思…