2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『シュレーバー回想録』

わりとわくわくしながら読みはじめたが、それほど面白いわけではない。要するに言葉(の群れ)でしかないんだなあ、と。シュレーバー回想録―ある神経病者の手記 (平凡社ライブラリー)作者: ダーニエール・パウルシュレーバー,Daniel Paul Schreber,石澤誠一,…

解説をやめられない、「妄想」

中塚圭骸は中一のときに31のオバチャンに童貞を奪われたらしい。その後女装趣味に走ったりもしたそうだが、世界に対して妄想を育めなかったことが彼の不幸としてあったのだろう。一般人は他人と似たような妄想(理想とか目標と呼ばれる)を育んで大人になる…

「白い目で見る」

憎むの意味で通っているけれど、屁理屈かもしれないが、これは本来は無視の意味ではないか。白い目で見るとは、つまり黒目は他所を向いているのだ。

「です」

語源から見たら「である」と同じく、存在を表す動詞なのだが、いまではあまりそう思われていない。「そうです」というのも「それはそうです」の略、つまり、「それ(あなたの提示した認識)は、そう(あなたが提示した認識のままの様態)で(存在しま)す」…

主述関係の否定

帰宅前に本屋に立ち寄って言語学の棚を眺めた。日本語の「です」について扱った本でもないかと探した。『象は鼻が長い』という本にちょっと興味を引かれた。考えてみれば、文という構造は、暫定的なものだ。結構が整うというのは、客観ではなく、願望だなあ…

『異次元が漏れる』

私はひそかに現代のマンガを怖がっていて、自分でもその理由がよくわからない(少年期に漫画家志望で、その夢が破れたからという「分かりやすい理由」はある)のだが、この本を読んでなんとなくその秘密を垣間見たような気になった。リアルなものが絵になっ…

なぜ疑問の助詞の前に助動詞が来るのか

これはペンですかは、なぜ「これはペンかです」にならないのか、考えたら不思議である(「これはペンか」ならば、文法をおかしてはいない)。文法が成立する原初の現場にタイムマシンで駆けつけたい。

反語としての否定疑問文の感覚

「これこれはなになにではないか」という否定疑問文を強調して使うと、しばしば非難の文句になる。「(その不作為は)責任放棄ではないか!」など。「責任放棄ではないか、いや、責任放棄である」というわけだが、私には、この「ではないか」というのが断定…

形容詞+です

http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20091022/1256217225 「形容詞+名詞+です」の名詞が、すでに話題にのぼっている、あるいは話者同士で了解されているために省略されたと考えるのが一番リーズナブル(な解釈)である。と思いますが。「危ないでしょう」に…

言文一致が崩壊する

日本語の言って、つまり敬体、敬意の流れの維持のことだった。西洋に対する義理立てとしての言文一致は、崩壊していく可能性だって、そういえば、あるわけだ。

射精とその周辺

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100423/1271987741 登山好きが嵩ずると、山頂からむかいの山の稜線の美しさを愛でて、オナニーに耽る境地に達するらしい…。相手がいないからといって、なにも世間並みのポルノを相手にして自慰をする必要もなくて、男は…

妻の言語戦略

あなた、ご飯にします?お風呂にします?http://b.hatena.ne.jp/kanimaster/20100418#bookmark-20902842 これは妻が夫を演じて、実際の夫に妻が提示した選択肢を選ばせているわけだ。あなたは「飯にする」あなたですか? 「風呂にする」あなたですか? その…

『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』

太陽肛門スパパーンの「太陽肛門」って、ここから来ているのか(バタイユかも)。フロイトのシュレーバー症例そのものはまだ読んだことない。いままで敬遠して手にとりもしなかったが、こういう感じなのか。工作舎の本みたい。原著が1972年に出たというのが…

『橋本治と内田樹』

内田樹に感じる違和感って、高田文夫に感じる気味悪さに通じるんだよな…。窯変源氏で漢詩を創作した話を、橋本も自慢するし、内田もヨイショするけど、これ、理屈が変だと思うんだよな。源氏物語に「光源氏が書いた漢詩」が何編かあって、その一つが欠落して…

『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』

予習しすぎちゃって、スムーズに見終わってしまった嫌いもないではないが…。女は後で回想する楽しみのためにセックスするのだ、とはジジェク先生の大胆仮説。それを主張する根拠がある映画のワンシーンなのだから、あはは、先生映画の見すぎ!? 対して男は…

『ジョニー・マッド・ドッグ』

戦争の話かと思って見にいったら、男と女の話を少年少女でやっていて面白かった。無批判に年長の男に従ってたら、少年は当然、そういう風に挫折するのである。アフリカの民兵は、日本でいうと暴走族のようなものか。俺は、年長の男に憧れるなんて気持ちにな…

男の空疎と不安

男は性交の際にファンタジーに従って自我を興奮させ男性器を勃起させて射精を済ませる。その一連の流れは男本人にとっては、毎日自己が妄想から強迫されている観念をとりあえず実現したものに過ぎないから、たとえ射精を迎えて性器周辺が快感を感じたとして…

人権と差別

http://d.hatena.ne.jp/Anonymous_Bia/ 読んでいてふと思ったのだが、プライバシー権が自己のプライバシーを管理する権利で、著作権が自己の著作の扱いを管理する権利であるのなら、人権は、自己の人としての扱われ方を自分で管理できる権利ということになる…

常体とは何か

もちろん江戸時代にだって敬体と常体はあったのであって、しかし常体と独り言はどう違うのだろう、あるいは違わないものなのかなどと私は疑問に思う。昨日は古本屋にあった『おくのほそ道』と『世間胸算用』を立ち読みしてみたのだが。読者に語りかけること…

『S&G G.H.+1』(2006年版)

「ミセス・ロビンソン」って帝塚山の短大に通っていたはずなのに、「東京の短大」に変更されてる。S&Gグレイテスト・ヒッツ+1―橋本治短篇小説コレクション (ちくま文庫)作者: 橋本治出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/05メディア: 文庫この商品を含むブ…

『サマーウォーズ』

『犬神家の一族』のアオヌマシズマがわりといいやつだったら、みたいな話。とはいえ身内のなかで話がまとまりすぎ。現実社会のインフラストラクチャーにリンクしているSNSなんて恐ろしいものを、果たして人類は可能であったとしても実現するだろうか。運営初…

一般性への義理立て

しかしとはいえ、「危ないですか」「よろしいですか」となると、これらはさらに誤用の印象を私に与えない。明治になって形式上でも身分は平等であることになって、客観性や一般性の概念に無理矢理馴染まなければならなくなった日本人の混乱がこれらの表現に…

「よろしいです」という盲点

上記リンク先でkanimaster氏が「よろしいです」を例に挙げていたのには盲点を示された思いがする。私は「よろしいです」にまったく違和感を感じないのだ。「危ないです」には幼さ拙さを感じてしまうのに。こういうときにはまず『江戸語の辞典』である。もと…

問題は「です」のほうにあったんじゃないの?

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20091023 http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20091022/1256217225 http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20091025/p1 ですという助動詞が近世では気取っている時に使う表現だったのが、明治期から学者学生が使いだして言葉…

小説「失われた男を求めて」

昭和の終わりか平成の初めの頃、女は駅前の大型スーパーに単3電池を買いに向かっていた。女はこの東京郊外の新興住宅地に越してから運転免許を取得して軽自動車を日常の足にしていた。電池はビデオデッキのリモコンのためのもので、他のついでが何も思い浮か…

儒教の世代

『秘本世界生玉子』読了。この本の後半にキリスト教と仏教が出てくるが、儒教については触れられない。しかし生き方を説くこの本の趣旨から言って、橋本は儒教的であったのだ。呉智英といい、世代的な感性だったのだろう。そういえば孔子は同性愛について語…

文化についての副次文化

子供のころは貧しく、そして親からも規制されていたので、テレビ雑誌の後ろのほうにある新作ビデオの紹介を読んで、書かれた映画を見た気になっていた。サブカルチャーというのは、噂話をする主体が、自分は客体にすぎないと卑下してみたり、俺こそが新しい…

すごくわかりやすい

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100419-00000075-mai-soci 長男は社会を否定したかったのだろう。フロイトのいう抑圧を回避したかったのだ。父は社会に溶け込まずに世の中を渡っていくつもりの長男に不気味なものを感じつつも、強くそれを言えなかった…

『秘本世界生玉子』

1995年に『'89』を読んで、そして『蓮と刀』へと遡って、それらの内容に心底驚いていた18歳の私は、その前編とされる『秘本世界生玉子』までは追いつけなかった。そしてあっと気がついてみればもう2010年(ちょっとした怪談だ)、それを書いた橋本の年齢を越…

「自我の統合」に驚く

橋本治の『若者たちよ!』の巻末の文章。文庫版が出てすぐに買って愛読したはずの文章なのだが、いま読み直すと頭のおかしい人の殴り書きにしか見えない…。「子供のころからやりなおす」という発想は、このあと橋本の強迫観念としてことあるごとに顔を出すこ…